2024年3月22日、金曜日。晴れ。
「完全に清浄な社会」というのがあるとして、それはそれで怖いんだろうな、ということを考えている。「決められたルール(法律、条例など)を遵守し、マナー(おもいやりなど)を完璧に身につけた社会」と聞くとユートピアのように思えるかもしれないけれど、それがディストピアになっていく条件ってなにかって考えると、ルール・マナーが悪人によって破られることではなくて、ルール・マナーがしっかりと守られているかを善人によって四六時中監視されることなのでは、というところに行き着いた。
いやまあ、そもそも「完全に清浄な社会」という想像が難しいんだ。「清浄」とは誰にとっての?という議論もしなきゃならない。なので「というのがあるとして」と添えるしかない。本当にそれが実現されるなら誰もルールを破ったりしないこともよぎるけれども、人間には我欲があったり「働きアリの法則」があったりすることを考えてみると、それもないんだろうなぁ、なんて思う。
「合理的配慮」という言葉から色々と考える日だった。