はせる

は・せる、馳せる

穴は埋まらないけど

 毎日書くつもりでいたのに、連休初日に書いている途中で寝落ちして穴を開けた。せめて9月中は続けてみよう……なんて考えていたので、寝落ちから目が覚めたときは気が抜けた炭酸のような感じになっていたけど、まあいいか、となった。ポジティブに考えれば、目標を設定し直して「肩の力が抜ける」ぐらいは言えるのかもしれない。まあでも、投げずに今またこうやって書いているので、(自分を)大目に見ることにする。それによって、なにかいい結果が招かれればいい。

 書くことについての考え方は「毎日書く」が途切れても特に変わっていないし、書いていない期間は自分の過去のメモを眺めてみたりもした。これまで書きたいと思ったことでも、書いていなかった・書けなかったことがたくさんある。どんどん忘れていってしまうけど、どれかを拾って埃を払い、それがなんであるかを思い起こし、改めて考え、整理する。文章を書くことはそんな試みなんだと思う。

書くこと撮ること

 昨日は「ネタがない」と書いた。文章の練習として始めたことなので、できるだけ言葉で物事を伝えるようにしたいなとなんとなく考えていて、だから文章の練習の中で写真を使うのはタブーだろう。と、勝手に結論づけて意固地になっていていた(たまにある)。

 けど、昨日の文章を書いて(そしてそれを読み返して)、「書きたいものを見つけて書くこと」が「被写体を見つけて写真を撮ること」と近しいことだと思っているなら、撮った写真について文章を書くことも別にアリなのでは。と思い至った。
 昔の写真については「記憶の書架」というカテゴリーで、写真全体のことや写真に写っている街・物・人のことを取り上げて、それについて深く考えて文章にする、ということをやっていた(現時点で8回だけ、つまり、最近はやっていないのだ)。今も日常的に写真を撮っているので、直近の写真についても同じことをしてみよう。これは、もしかすると写真を撮ることにもいい作用があるかもしれない。と、少し心が弾んだりもする。

ネタがないのもしぼってみれば

 こうやって毎日文章を書くようになって、日常的になにか書くことを探すようになった。メモしてあってもまだ始めたばかりで数が少ないということもあるし、「今日はこの中のテーマで浮かんでこない」ということもある。まあ、要するにネタがないという状態。せっかく続いていることなので、ネタがないときもネタがないことをテーマに書いてみる。

 こうやって毎日文章を書くよりも前から、日常的になにか写真の被写体を探しながら歩いていた。書くことを探すのも、それと似ていることだと思っている。興味を向けること。こういうのって意識して探しても見つからないことが多いけど、かといって「これは良さそうだ」と思ったときにスルーしてしまわないように気持ちを整えておくことも必要だと、最近思うようになった。写真は意外とすぐに撮れるけど、手書きでもスマートフォンでもメモをするのは少々労力がいるので、それを厭わないように習慣づけておきたい。

枝葉が取れて、根幹が見えてくる

 昔のメモがある。紙のメモも、仕事の合間にとってテキストファイルもとってある。時々それを読み返すのが楽しい。

 「枝葉が取れて、根幹が見えてくる」と書き残してあった。これはたぶん「余計な情報を削ぎ落として、物事の本質を見定める」というようなことかな。その真意までは書き残していなかった。まあいい。そのとき受け取るイメージと、いま受け取るイメージは違ってもいい。
 今は情報が多すぎる。黙っていてもインプットが多すぎる(習慣になってしまったんだろう)。そう考えると、こうやってアウトプットを積極的にしていた頃は、今ほどインプットの選択肢は多くなかった気がする。インプットの選択肢が多いことは全然いいと思う。ただ、インプットとアウトプットの比率を意識しておかないと、簡単にバランスが悪くなる。「インプットとアウトプットの黄金比は3:7」と提唱する本もある。それが正しいかどうかは正直分からないけど、インプットが多いと、それに対して自分がどう思ったか、とか、それに対するアウトプットがどんどん埋もれていくような感じはある。そんなわけで、たまにはインプットを間引いて見ようと思う。

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