はせる

は・せる、馳せる

不在の気配

 2月24日から25日に掛けて実家へ。祖母の入院による帰省だった。

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 八戸の気温は零下で、さらにインフルエンザも心配とのことで、妻と息子は同行せず独りでの帰省となった。

 事前に電話で聞いていた状態は、咳が出ていて(恐らく肺炎で)胸水を抜くための入院だったが、高齢(祖母は94歳)のため上手く抜けないようだ。この「高齢のため」のいうのがそもそもの病気よりも厄介で、入院するだけで弱っていってしまうのだ。

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 八戸駅着は24日の21時過ぎ。両親にピックアップしてもらい宿泊先へ(久しぶりに実家で過ごしたかったけど、いつもの宿泊先をすでに予約されていた) 。当日に降った雪がしっかりと積もっていて、とても寒い。少し手に取って握ると「ぐぐっ」と音が鳴る、良い雪だった。
 宿泊先ではカーリングの3位決定戦を観てちょっと泣いた。


 25日、お見舞いへ。
 聞いていた状態よりはよく、会話も問題なかった。息子(祖母からすればひ孫)の声が聴きたいらしく、最近の動画を見せると「画面をもう少し離しても見える」と言われた(これで少し安心した)。


 その後実家へ戻り、1時間ばかし近所を散歩。標示や古い看板などを探したけど、結局は個人的な感傷以外のなにもなかった。

familiar place

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 小さい頃に近所の同級生とよく遊んだ神社。


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 通学時に通る交差点。目の前の平屋は商店。今もやっているようだ。


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 通学路の看板。通学路といえば、冬の日に中学校までの道中、1度だけ小学生の女の子二人に後をつけられたことを思い出した。「つけられた」という表現になるのは、僕とはなにも関係ない話(昨日のテレビ番組とか)を二人でしながら、僕のピッタリ1メートルぐらい後をずっと付いてきているからである。早足で歩くと向こうもスピードを合わせてくる。当時は正直ちょっと怖かったけど、今なら話しかけられそうな気がする。
 そんな思い出のある中学校は、中学校統合の折に実家から少しだけ遠いところ(通っていた小学校の裏手)に移動してしまった。


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 トタンというのはやっぱりフォトジェニックだと思う。この小屋は僕が住んでいたときもあった。


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 秘密基地にした土手、近くにあった溜め池。友達の家、知り合いの家、があった場所。知らない家。中学校だった場所。病院だった場所。をだらだらと巡った。


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 昼食をとり八戸駅へ。息子へたくさんのお土産を託された。これにて短い帰省も終了。


 帰りの新幹線は思っていたよりも祖母が元気だった安堵と、遠くない未来の不在の気配が入り交じった不思議な感覚だった。長距離移動が感傷に与える影響について考える。

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 今現在、症状は良くも悪くも変化がなく、未だ入院中。

© 2012-2018 Daisuke YAMAMOTO