はせる

は・せる、馳せる

花火 (2024W33)

 そう、花火をした。

2024W33 (2024-08-12 / 2024-08-18)

 それは青森での話。東京ではコンビニやスーパーで手に入るのに、なかなか花火が許可されているところがないので、花火の特別感が増している。子どもの頃は他の子ら並みに楽しみにはしていたけど、好きかと問われたらそこまでではなかったような、そんな記憶。吹き上げ花火の着火に緊張して倒してしまい、ロケット花火のごとく高速移動を始めたということだけ鮮明に覚えている*1

 東京都は花火を禁止する公園がほとんどだったけど*2、今年は一部の区で試験的にルールが緩められて、夏休み期間中は手持ち花火ならOKとするところがあった*3
 他にも神社やお寺で、花火がしづらい状況を汲んだ催しを開催しているところもある。探せばいろいろあるのが東京である。

*1:この所為で母に軽い火傷を負わせた。

*2:豊洲ぐるりパークは手持ち花火OKで、息子を連れて一度行ったことがある。「公園での花火利用について | お知らせ | 豊洲ぐるりパーク 江東区 豊洲ふ頭内公園

*3:【期間終了】夏休み親子花火広場(試行)/荒川区公式サイト

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夏の決心 (2024W32)

 正したいことは目の前にありすぎる。

2024W32 (2024-08-05 / 2024-08-11)

 夏期休業へ向けて気持ちが華やぐW32。息子は夏休みを満喫中。次週は青森帰省に同行するので、宿題を約束の分までがんばって進めている。

 夏休みの宿題、私は最後まで残しておくタイプだった。天気の記録や絵日記が残った場合は記憶で書くしかない。結局中学生までそのくせは直らず、今に繋がっている。高校生のころは長期休みの宿題が出た記憶がない。
 あんまり勤勉な生徒ではなかったけど、中学までは授業だけで学年順位の上位に食い込めるぐらい勉強はできた。そのことが驕りを生んで、高校ではボロボロの成績になって、今に繋がっている。
 基本的に「明日できることは明日やろう」という精神でやってきた人間なので、妻にサポートされながらではあるけど、ちゃんと宿題を進めている息子のことは「私のようにはなるなよ」と心で思いつつ応援している。

 「あのとき正しておけば」ということがいくつもあり、今それを嘆いても仕方がないことぐらいわかっている。嘆くよりも、今それを正そうと行動していかなくては。

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有限で稀少な時間 (2024W31)

 「なんでもないこと」を享受する贅沢というのもあるんだけど。

2024W31 (2024-07-29 / 2024-08-04)

 どうしても必要となれば「今日は一人にさせてくれ……」と嘆願して取得しているところ、妻と息子が「付添となる保護者は1人のみ」に限定される宿泊付きのイベントに行くというので、信用を失うことなく一人の時間が確保された。結果として、お昼頃から翌朝家を出るまで、どっぷりと一人で過ごすことになった。特に予定を作らず、買い出しを1回に抑えて、あとは室内でSwitchをしながらTVerで気になった番組を見たり、気まぐれにワンコの相手をしたりしていると、もう日が暮れていた。

 家族という集団でいると、一人でいる時間はなかなかやってこない。再び夜ふかしをするようになってきた。私は「家族の時間」と「一人の時間」のバランスを取ろうと四苦八苦しているのに、妻や息子はその必要がないように見える(もちろん、見えているだけかもしれない)ので、たまにそういった観点で観察している。
 せっかくの「一人の時間」なのだからこの機会にと「なにか高尚なこと」をしようとしても、振り返ってみれば「なんでもないこと」で時間を消費してしまう。「テスト勉強中に部屋が散らかっているのが気になる」というのと同じで、大概そんなふうにできているのかもしれない。もしかすると日常で「なんでもないこと」に満足がいくだけ時間を費やせていないことの反動とも考えられるかもなー、と思った。でも時間は有限なのだ。計画的に取得して、消費して、ということをしたいところだけど、まずは1日の半分も持って行く仕事の時間を減らしたい。

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自己理解と自己顕示 (2024W30)

 「セルフブランディング」って考えたことあります?

2024W30 (2024-07-22 / 2024-07-28)

 このブログでもどこかのタイミングでこの言葉を使ったことがあるような……と辿ってみると、「私のドメイン遍歴」だった。各ウェブサービス上に表れる・現れる「私」という表象を取り纏めるような意味合いでの「ブランディング」という言葉であった。ブログを書いている「私(1)」、写真を撮っている「私(2)」、Tumblrでこういう画像を収集している「私(3)」、それらはみんな「私」のサブドメイン、みたいな。

 この週、ダヴィンチマスターズで聴講したクリエイティブディレクターの村松秀俊氏の講演では「自分ブランディング」という言葉を用いていた。たぶん「セルフブランディング」と同義だよなぁ……と思いつつ聴いていたんだけど、「コミュニケーションに苦手意識があった」という(確か)小学生時代から、「コミュニケーションが得意な人がどう行動しているか」を観察し、「自分もそうあろう」と真似をし、苦手意識を克服していった、というエピソードを話されていた。

 「セルフブランディング」というのは、「自分がどういう人か」という自己理解の部分と「自分がどういう風に見られたいか」という自己顕示の部分、その擦り合わせから導き出す「そうありたい自分」なのではないかと思う。いま自分が持っている特性で活かせるものは活かすし、ないものは取り込みたい。「自分はどうありたいのか」という希望・欲望に気づいて、自己を変えていくことに繋がるのではないか*1。そんなことを考えていた。

*1:ミシェル・フーコーの「自己への配慮」もこのようなことだったと認識。

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吟味 (2024W29)

 何度目だ。

2024W29 (2024-07-15 / 2024-07-21)

 PCで編集画面を開いてうんうんと考えていても、なにも出てこないことは多い。そう今回は「書けないことを書く」という回。でも、なんとなく糸口はある。

 これまで、「手や足を動かさなければ出てこない考えがある」と近いことを言っている本に何冊か出会った。「足を動かす」は歩くことはもちろん、村上春樹的に言えば走ることも含むだろうし、「足を使って」ということで取材も含められるかもしれない。「手を動かす」についてはたくさんの動作が思い起こされるけど、たぶん、「手書き」は含まないような気がしている。
 『ライティングの哲学』では「書かないで書く」という話が出ていて、これもやっぱり一旦「書く(入力する)」という行為から離れるけど、それが書くことに作用するということであった(と理解している)。

 読書によって一度咀嚼した内容でも、このようにして頭の片隅でホコリを被っていることが多い。もう一度取り上げて、ホコリを払い、それが私にとってなんであるかを吟味することも必要だな、と考えた。そうすることで、もしかすると過去の私と今の私で、感じる深みや意味が変わることもあるかもしれない。

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