はせる

は・せる、馳せる

連続 (2024W13)

 時間が経てばいろいろ変わっていくけれども、変わりながらも続いているものがたくさんある。

2024W13 (2024-03-25 / 2024-03-31)

 E-Tokyo Festival 2024にて、たまたま展示されていたヤリスのラリー車両を見てきた。この週末に開催されていたフォーミュラEが公道レースということで、同じ公道レースのWRCも展示、という流れを感じる。

toyotagazooracing.com

 私がWRCに出会ったのは高校生のころ、2000年ぐらいのことで、当時は日本からはSUBARU インプレッサMITSUBISHI ランサー、海外メーカーはPEUGEOT 206、FORD フォーカスなどが出場していた時代。WRCはインターネットかVHS等でしか映像を見ることがなかったんだけど、それでもなんとかして映像に辿り着き、市販車両をベースにしたゴリゴリのWRカーが公道を極限の速度で突っ走るようすにアドレナリンが出まくったことを覚えている。
 今のWRCは、日本からはTOYOTAしか参戦していない。メーカーの参戦数が減ってしまったのは残念けど、ルールは多少変わったけど、レースのダイナミックさは変わっていない。ラリー・ジャパンも復活して2022年、2023年と開催、そして今年も開催予定なこともあって、テレビ朝日でも短い枠ではあるけど関連番組が放送されているのが嬉しい。

続きを読む

2024-092 桜が咲いたみたいだ

 2024年4月1日、月曜日。曇り。

 桜はもうそこら中で咲いている。今日のダレハナオープニングでは桜の時期恒例、国立劇場前からの中継だった*1

 近場の公園で本を読む。学校は春休みなので、いつにも増して遊んでいる子どもの人数が多い。声は読書の阻害にはならないものの、至近距離を走り抜けられるのは流石に気になる。

 敬称の付け方を迷う。フルネームで書くときは要らないか、名字・名前のみで呼称するときは付けるか、とやってきたけど、読んでいて少し違和感が湧くことがある。一介のブログでそんなに気にすることはないのかもしれないけど、日常とも繋がっていることもあり、ちょっと考えている。

 アウトライナーをただの箇条書きツールぐらいのものだと思っていたことを告白しておく。『ライティングの哲学』を読書の隙間時間に読み始めて(読書の隙間?)、「書くこと」にみんな悩んでいることに改めて勇気をもらうとともに、アウトライナーツールを主軸に置いた座談会に「あー、えぇ?これそういう本だったの?」と認識を改めた。ちゃんと読もう。

 昨日の夜に眠気に抗えず見れなかった『そこ曲がったら、櫻坂?』は「お弁当告白選手権」、『日向坂で会いましょう』は「なんでも京子企画ランキング」に、月曜日は『激レアさん』「嗅覚だけで究極のラーメンを作り出した人」、『キョコロヒー』「シソンヌ長谷川さんから人間力を学ぼう」、『ハマスカ放送部』「ベボベ関根さんとオリジナルの『お弁当作りの歌』を作ろう」。私、意外とテレビ見てるよね。

東京 (2024W12)

 上京して20年目に入った週。

2024W12 (2024-03-18 / 2024-03-24)

 私は生まれた育った街を19歳になる年に離れたので、すでに東京で過ごす時間が人生で一番長くなっている。そのことが私にもたらしたことはなんなのか。それは、「東京」という地の利を得て、私の文化資本の度合いが時間をかけて移動したのでは、という可能性を悶々と考えている。これは、年始の辺りにまとめた「今年の課題図書を決めた」でも推測しているんだけど、ただの驕りの可能性もあって、その見極めも必要と感じている。

 東京20年目。まだまだやれるはず。

続きを読む

2024-087 すっきり就寝

 2024年3月27日、水曜日。晴れ。

 「こっち側の集い」の最終回を噛み締めている。前と後に若林さんと水卜アナの雑談と、真ん中は総集編的に印象的だった会話を放送する、なんかとってもドライな感じの最終回だった。若林さんの「あとはそれぞれで頑張ってください」という言葉が、すごく「こっち側」っぽくて書き留めた。

 以前「山崎怜奈が(趣味興味の)いろいろな方面へのハブになっている気がする」ということを注釈で書いた。『ダレハナ』では様々なゲストを招いてトークして、『言って聞かせて』でパートナーのは作家・今村翔吾とトークしたり作家や編集などゲストを招いて書籍関連のトークをしたり、『ザキオカ×スクランブル』ではCBC永岡アナと軽妙な雑談をする。番組の色がさまざまあることで本人のいろいろな面が出ていて、推していて楽しい。ラジオで複数レギュラー番組を持っている人って割と珍しいのかもな、とか考えている。
 仕事中含めいろいろなラジオやポッドキャストを聞く*1中で、彼女に次いでよく声を聞いているのは宮田愛萌であることを書いておきたい。TBSポッドキャストの『ぶくぶくラジオ』は渡辺祐真と本にまつわる話をし、『学問のNUMA』*2では國學院大學の先生を招いてお話を聞く、と文系のコンテンツに強いので、私の興味のベクトルにも合っている。日向坂46時代から気になる存在ではあったんだけど、特に祐真さんとの会話を聴いていると「よう頭回るわー」と思う。

 あちこちオードリー「諦めたこと発表会」で、くっきー!、高橋真麻岡野陽一。くっきー!さんはボケるトーンと真面目に答えるトーンがほとんど変わらないので、話の途中からボケとわかってどっと笑いが込み上げるというのを何度もやった。笑えて、すっきり就寝。

*1:聞き流すタイミングも多々なので「聴く」という漢字はここで使えないと判断。

*2:シーズン1で一旦ひと区切りとのこと

2024-082 清浄

 2024年3月22日、金曜日。晴れ。

 「完全に清浄な社会」というのがあるとして、それはそれで怖いんだろうな、ということを考えている。「決められたルール(法律、条例など)を遵守し、マナー(おもいやりなど)を完璧に身につけた社会」と聞くとユートピアのように思えるかもしれないけれど、それがディストピアになっていく条件ってなにかって考えると、ルール・マナーが悪人によって破られることではなくて、ルール・マナーがしっかりと守られているかを善人によって四六時中監視されることなのでは、というところに行き着いた。

 いやまあ、そもそも「完全に清浄な社会」という想像が難しいんだ。「清浄」とは誰にとっての?という議論もしなきゃならない。なので「というのがあるとして」と添えるしかない。本当にそれが実現されるなら誰もルールを破ったりしないこともよぎるけれども、人間には我欲があったり「働きアリの法則」があったりすることを考えてみると、それもないんだろうなぁ、なんて思う。

 「合理的配慮」という言葉から色々と考える日だった。

© 2012-2024 Daisuke YAMAMOTO