一眼レフを再び持ち歩くようになったので、今週は写真が多めになった。このまま続くといいと思う。
写真が多くなると、それに比例して書くことも多くなる。「写真にキャプションつけなきゃなぁ」という使命感もあるけれども、撮った写真を見ながら文章を入力することで、そのときの状況や感じたことなどが色濃く思い起こされるからでもあると思う。このことから、写真を撮ることが「言語化の先送り」をしているということのような気がしてきて、芋づる式に以前読んだ本のことも思い出した。
「なにも感じていない」のではなく、「感じていることはあるのに、解像度が低すぎて自分でもわかっていない」だけ
荒木俊哉『瞬時に「言語化できる人」が、うまくいく。』
「解像度」という言葉はもともと写真関連の用語で、レンズやフィルムがどの程度細部まで写し撮れるか、写し出せるかという度合いであり、引用で使われている「解像度が低い」というのは「あいまいで、不確か*1」と表現することもできる。
私が写真を撮るときには、対象を見て「撮ったらいい感じになりそう」とか「撮っておいたほうがいいかも」「撮っていいかな」「撮るか」ということは考えていても、情操的な部分や画角の中で起きていることについて感覚的に捉えていることを、その場で具体的に「あれやこれや」と言葉で捉えようとしていない。そのときに感じていたいろいろなことは、「カメラを構える、構図を吟味する、シャッターを押す」という動作を終えると、どこかに行ってしまっているような気がしていた。
でも、撮った写真を週報やGoogleフォトで見直すことで、その写真を撮ったときの「あれやこれや」も、そこから連想される「それやどれや」も含めて、いろいろと再び浮かんでくる。どこかに行ってしまったと思っていたそれらは、もしかすると写真の中にあるということなのかもしれない。「写真を見直す」という行為によって、そういう「あいまいで、不確か」だった感覚を、あとから言語化していると考えることができそうだ(写真的に言い直すと「感覚を言語に焼き付けている」ということ)。これまで撮った写真を遡れるだけ遡って眺めるということはずっとしているので、私はそういう言語化が好きなんだろう……好きなんだ……好きです。
2024W51
2024W51 (2024-12-16 / 2024-12-22)
今週のうたかた
16日 月曜日(2024-351)
17日 火曜日(2024-352)
18日 水曜日(2024-353)
19日 木曜日(2024-354)
20日 金曜日(2024-355)
21日 土曜日(2024-356)
映画『The Witch 魔女 -増殖-』
22日 日曜日(2024-357)
みなと科学館のイベントに参加する妻と息子を見送り、自分も外出準備。
図書館で返却、借り出し
この日借りた本(延長した本も含めて)で年をまたぐので、いろいろと吟味した。なんとなく花札のルールを習得したく、初心者向けの本を2冊、予約して借りた。あと、ピエール・ブルデュー『写真論』も借りてみたけれども、これはちょっと読むのが難しそう。来年のテーマの本も選びたいのだが、なにがいいかしら。なんとなく候補はある。
神谷町周辺散策
イベント終わりの妻と息子と合流する前に周辺を散策しようと、早めに現地到着。近くに麻布台ヒルズがあるのでそちらまで足を延ばした。路面に面したお店はセリーヌやボッテガなど、ファッションショーで見たりするのは好きだけれども、自分がそのブランドのアイテムを持つかと考えるとnot for meだと感じてしまうようなハイブランド。しかも、入口にはドアマン*2が立っているので入店して品物を見て楽しむこともしづらい。この思考も『ディスタンクシオン』を通してみると「そう考えるような社会的位置にいるということなんだよな」と思い浮かび、納得したような、悶々とするような感情を抱えながら歩く。
合流して、ジョナサンで夕食を食べて帰る。
M-1グランプリ
外出や家事の都合、ちゃんとは見られていないので改めて見るけれども、漫才の面白さとともに審査員の個性も改めて感じるよい内容だった。若林が決選投票でバッテリィズに入れていたの、わかるわかると思った。令和ロマンの連覇には納得だし、真空ジェシカもバッテリィズもエバースもよかった……面白かったコンビの名前を挙げていくと全員になる。