と、わかっていても、今年も言うんです。
大型連休中の誕生日だからか、祝われ慣れてないんだよね、私は。そのくせ誕生日には文章を残したがる。「祝ってほしい」わけではなく、「憶えていてほしい」ということで、あとは自分自身で「そのこと」を噛み締めたいということなのかもね。
そういえば、年齢を言うべきときに、20代から30代前半ぐらいにはスパッと言い切れた気がするんだけど、ここ数年は「さんじゅう……はち」と十の位と一の位の間にちょっと「間」ができるようになった。これは、今の年齢に遠慮や恥ずかしさなどを抱いているわけではなく、普段から年齢を意識して生活しなくなってしまったことで、年齢を言うときに再計算が発生する(そして計算スピードも遅くなった)ことによるのではないか。と、変に哀愁を漂わせるのはいかがなものか。
「普段から年齢を意識して生活しなくなってしまった」というのは悪いことではないと思う。子供と全力で遊ぶのはすごく楽しいし、年齢で自分自身に制限を掛けてなにかをしないという選択をするのもおかしな話だろう。でも、やっぱりそこで「私は38歳」と俯瞰する意識がないと、全力で走ってすぐバテるし、場所をわきまえなければみっともなく映ることもあるかもしれない。自分自身を俯瞰する、客観視する意識って、この歳になると大事だなと思う次第。
感謝千万。私はげんきです。今後の活躍にご期待ください。よろしくお願いいたします。