物語が必要である。
物語が流れれば、それに沿ってステップを踏み、生活を送り、仕事をこなし、そしてまた物語を続けていく。
その下敷きとしてフィクションの物語を読むということをしていた。それがどう作用していたかわからないけど、物語を進めるための潤滑剤のような役割だったのかもしれない。そして、写真を始めた当時の僕は、それを村上春樹の小説に強く求めていたように思う。
学生時代にはそれほど読書家でなく、ライトノベル以外の小説を好んで読むようになったのが20代半ばを迎えてからだった。移り住んだ地域が物語に出てくるという縁で村上春樹を知り、その後長編と短編を読み耽り、美しい言葉、美しい文章、美しい表現を見つけては自分の中に取り込もうとする。
いつの間にかその熱量は下がり、1Q84以降は興味が湧かない。
写真とは全く関係ない文章を書きました(笑