名も知らないたくさんのものたち。
写真を趣味にしていると、道端で見かける花が気になることがよくある。一緒に撮り歩くことが多かった友人は、花の名前がパッと出てくる人だった。私には「名も知らない花」でも、その友人にとってはそうではないのだ。私はそれを結構うらやましく感じていたことを憶えている。昔ならばポケット図鑑を持ち歩いて、花を見ながらパラパラとめくって……となるところ、今は「ハナノナ」や「Googleレンズ」で簡単に花の名前を調べることができるようになった。
名前を知ることでなにが起こるのか。花の名前を知ることで存在を身近に感じたり、「誰か」を名前で呼ぶことでお互いの関係性を意識する。なんとなくそこにあったものの存在感が濃くなるような、見え方が変わるような、そんな転換が起こるのではないか。また、例えば花を見て「これはツツジ」と思い出すと、同時に過去の同じ季節のことが頭に思い浮かんだりする。名前は時に「記憶の栞」のひとつにもなる*1。
一方で、名前はイメージを収束させることもある。例えば、「スカートとニーソックスを組み合わせたときの太腿の露出部分」を表す「絶対領域」という名称について。名前が付くことで、誰かに同じイメージを伝えることは簡単になるけれども、しかし「それ」を見ると「絶対領域」という言葉が先に喚起されてしまい、情緒のようなものが失われている気がする*2。
イメージ上にしかなかったものを誰かと共有しやすくなるメリットもあれば、気をつけなければラベリングになってしまうデメリットもあることを認識しなければならない。
「概念があり、それに名前がつく」と考えると、「名前がない」という状態こそ丁重に扱わなければならない、と感じる。名前がないからこそ「自由」であり、「これはこういうもの」と決めつけずに、ゆらゆらとイメージの中を漂わせておく。まるで水面に浮かぶ光のように、捉えられそうで捉えられないものたち。
簡単に調べられるからこそ、「名前のない」という期間も楽しみたい。それらに急いで名前を求める必要はない。ゆらゆらと漂わせて、たまにつついたり分類してみたりすれば、必要な時間が経てばおのずと名乗ってくるのではないか。
2025W20
2025W20 (2025-05-12 / 2025-05-18)
今週のうたかた
12日 月曜日(2025-132)
13日 火曜日(2025-133)
14日 水曜日(2025-134)
15日 木曜日(2025-135)
16日 金曜日(2025-136)
17日 土曜日(2025-137)
雨。小野照崎神社は例大祭中日。
図書館
返却と借り出し。
帰ってきた妻と息子と駅で合流して、おやつにマックのナゲット15pcs。息子と一緒に買い出しして、夕食は太麺の焼きそば。
18日 日曜日(2025-138)
天王星が合。
新宿へ移動。
TOKYOキッズフェスタ2025@新宿住友ビル三角広場
大人の方のレース終了後、ディノアライブのティラノサウルスが来た。あとで息子と話をすると、どこからどうやって音声を出しているか、ということを観察していたようだ。私もです。
新宿中央公園を散策
まだ少し早い時間帯だったので、新宿中央公園へ向かう。
北エリアでは若者や子連れの集団がピクニックをしている。妻も言っていたけど、新宿中央公園には「きれい」という印象がなく、スタバやボルダリングできる場所もあって「生まれ変わった」レベルでの変貌に驚いている。前回は2019年に訪れていて、この時点で「ちびっ子広場が新しくなった*3*4」と残しているけど、北エリアはまだ工事中のところがある。西エリアのちびっ子広場へ。Googleマップを見ていて驚いたんだけど、カイロソフトが西エリアの端っこに面したビルに入っており、興奮気味に妻に共有したけどスルーされた。まあ、ね。
日暮里で夕食
いつも通りサイゼリヤ。