はせる

は・せる、馳せる

2025-050 行動原理

 2025年2月19日、水曜日。晴れ。

 今朝、リュックサックや斜めがけバッグのストラップがねじれている人を見た。たまに同じ状態の人を見かけるけど、気になって目で追いかけてしまう。ちょっと違和感というか、なんか感覚的にありそうな状態なのに*1、家を出てから、電車を降りて背負い直してから、ずっとその状態なんだろうか。という想像と同時に、なんとなく「そういう」人なんだろうなと思う。

 ピエール・ブルデューが用いていた「ハビトゥス」という言葉を思い出す。「ハビトゥス」はなんとも難しい言葉で、簡単に人に説明することができないんだよね。えーと……(石井洋二郎さんの講義本をめくる)
 「ハビトゥス」という言葉は2つの側面を持っていて、1つ目は『簡単に言ってしまえば、「上品な/下品な」「洗練された/粗野な」など、一連の形容詞カップルによって分類できる私たちの日常的行動(物を食べるとか人と会話するとか)を生み出すもとになる原理*2』。2つ目は『上品な食べ方と下品な食べ方、洗練された振舞いと粗野な振舞いを弁別し、分類し、評価する能力がハビトゥスであり、私たちが普通「趣味」と呼んでいるものはこの第二の側面の別名であるということになります*3』とされている。

 また、「ハビトゥス」はある分野から他の分野へ転移が可能で、

(略)たとえば食事作法に関して、家庭のしつけによって「音を立てずにスープを飲む」というマナーを身につけている人は、そうした振舞い方を身体的な必然として内面化しているので、別の領域、たとえば衣服に関しても、場をわきまえない奇矯な恰好をすることはなく、他人に不快感を与えないよう配慮した節度のある服装をすることが予想されるでしょう。
 つまり家庭環境を通して習得されたテーブルマナーという特性は、食事作法という領域を越えたところでも体系的・普遍的な行動原理として機能するということ、言い換えれば「「構造化された構造」であるハビトゥスが、「構造化する構造」として紡ぎだす慣習行動に一定の体型性を付与している」ということになります。
石井洋二郎. “第3講 強力な生成母体”. ブルデュー『ディスタンクシオン』講義. 2020, p.91-92

 つまり、「リュックサックや斜めがけバッグのストラップがねじれている」ということから、その人の別な所作や行動のことまでを推論しているということである。
 私がこうやって他人の行動原理を推定しているように、他人もまた同じように私の行動原理を推定しているのだ、ということも認識している。だからちょっとした失敗も、どうしてか必要以上に恥ずかしいと感じてしまうことが、ときどきある。はい、考えすぎ。

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*1:東北地方の方言でよく不思議がられる「いずい」という言葉がピッタリな状態。

*2:石井洋二郎. “第3講 強力な生成母体”. ブルデュー『ディスタンクシオン』講義. 2020, p.88

*3:先と引用元は同。

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