はせる

は・せる、馳せる

世界はここから変えていくことができるはず

 高校演劇、青森中央高等学校『俺とマリコと終わらない昼休み』を総文祭の配信で観たよ。この作品は、今後も折に触れて思い出す気がする。

 ネタバレあり です。一応ネタバレなしとありの部分は分離してあります。


青森中央高等学校
『俺とマリコと終わらない昼休み』

www.youtube.com

 高文連の第33回全国高等学校総合文化祭優秀校東京公演の配信より。上演時間は1時間。YouTube検索には出てこないので、関連ページより動画へのリンクをクリックする必要がある。
 また、配信は2022年12月31日(土) 18時に終了予定とのこと。

あらすじ

 舞台は青森県のとある高校。授業が終わるチャイムが聞こえ、昼休みが始まって日常を過ごすうちに、Jアラートが鳴り、某国の核ミサイルが学校に着弾するまでの8分間を繰り返す、タイムループもの。主人公である転校してきて間もない男子生徒・ガクトがそのループに気づき、もう一人そのループによって記憶がリセットされない女の子もいて、核ミサイルの爆発から逃れられない絶望と、ループする8分間の中に見出す希望、そしてループする理由に、もがいてもがいて、変化をもたらしていく。

感想

 私の出身地でもある青森県は、北朝鮮のミサイルが上空を通過する経験をしている(2017年、2022年*1の2回)し、ウクライナ侵攻を進めるロシアも近く*2、さらには、ミサイル防衛装備が配置された自衛隊の駐屯地もあり、米軍三沢基地もあり、原子力発電所や中間貯蔵施設もある、という、考えてみればかなり特異な状況に置かれている県。
 そういった世界情勢、その中での青森県の状況と、学生らしい青春も、息が詰まることもある学校生活も、新型コロナ禍も、1時間という劇中に、いろいろな要素が詰め込まれている。

 開始直後の最初の昼休みでは、教室中で生徒たちがグループになって騒がしく会話をしていて、どれもはっきりと聞き取ることができない。でも、くりかえしが始まると、ループ毎に教室の中のそれぞれの会話にフォーカスが動いて、生徒たちの状況を解き明かしながらループが解けるまでを描く。物語の中心となる登場人物は2人なんだけど、他にもクラスメイトがどんな状況なのかが気になって、1週間のうちに数回見た(繰り返し観ているうち、ゲーム『高機動幻想ガンパレード・マーチ』のNPCを眺めているような感覚がしてきた)。
 演劇でタイムループものを表現する、というのがどれだけ難しいことなのかわからない。しかし、きっちりと同じ動き、同じ台詞が繰り返されていて、練度の高さを感じたし、演出もすごかった。そして、ループを繰り返す毎にクラスから個人への解像度を高めていく、という、単純に演劇の可能性についても驚かされた。

 今回は配信で見たので、カメラによって見える範囲をトリミングされてしまっているんだけど、これは実際に生で、舞台全体を見たかった。映画ではカメラのフレームの外側はあまり意識しないけど、演劇では舞台上はずっと見えているので、たぶんこれって演劇の面白さのひとつでもあると思うんだよなぁ*3。今配信されているものに加えて、引きの固定視点での動画もあったらよかったのに。




感想(ネタバレ)

 後半、ループを共に繰り返す女の子だけが名前を教えてくれず、教卓の座席表から調べるが、英語の先生が持っていた座席表だったためローマ字とカタカナの表記しかなく「KAWAJIMARIKO / カワジマリコ」を「カワジ・マリコ」と解釈して、大声で彼女の名前を呼ぶが、しかし、彼女に訂正される。正しくは「カワジマ・リコ」。この言葉遊び自体になにか意味が隠されているのかはわからないんだけど、張り詰めた終盤の展開に緩和がもたらされるいいシーンだった。

 ガクトは転校してきて2週間、クラスメイトのことをまだよく知らず、名前をまだ憶えていない人もいる。ループを抜け出せない、核ミサイルから逃れられないとわかってからは、繰り返す8分間の中でクラスメイトのみんなのことを知ろうともがく。「そんなことして、なんになるんだ!」とリコに言われても、告白の手伝いをしたり、不仲の仲裁をしたり。しかし、その行動がループの中に少しの変化をもたらし始める。
 彼自身の転校の理由がイジメだった。でも、そんな経験をしている彼が「クラスみんな」にこだわるのはどこからだろうか(無償の愛、か)。

 リコがこの教室の中でどのような存在なのか、というのは、前半ではぼんやりとしかわからない*4。ガクトが調子に乗ってループの中に変化をもたらしていく中で、先月リコが新型コロナに罹患してから無視されイジメられている、とわかる瞬間に、ゾッとする。それよりも前から兆候はあったことが伺える*5んだけど、そうやって想像すると、めちゃくちゃ苦しかっただろうな、と思う。そりゃあ「息もできないこんなクソみたいな世界」に核ミサイルが飛んできて、今すぐ終わってしまってもいいと思っていてもおかしくないよな。
 しかも、リコが感情をぶちまける演技がまたすごくて、いろいろなことが積み重なって感情が込み上げてくる。マスクをして演技するという意味も、新型コロナに対する地方的な考えを象徴していることも、と考えるとめちゃくちゃ意味があることだった。

 ループで記憶がリセットされない条件みたいなものを考えると、ガクトとリコの共通点は「イジメられた経験(リコは現在進行形)」もしくは「問題に対する当事者性」のように思える。冒頭で先生が言っているように、ウクライナの問題同様、クラスで起こっていることを他人事とはしないこと。
 ならば、女王様グループの序列で一番下にいるイマイ(マイメロの帽子を被っている一発芸をする女の子)*6も、その一発芸はやっているのかやらされているのか勘ぐってしまう。ループ内に起きた変化として象徴的に存在(彼女の一発芸)しているし、それに、合唱の練習中はガクトの訴えに泣き出すし、なんかその出で立ち以上にとても気になる存在で、何回目かのループから記憶が残っていてもおかしくないのでは……? ラストでもイマイがリコを助けるために、みんなの気をそらす目的として「なんか飛んでくる!」という台詞を使うのも、偶然とも必然ともどちらにも思える……。
 と、いうところで、アトロクでのTBSラジオ澤田記者の話によれば、生徒講評*7でもイマイの「変化」には触れられているみたい。その生徒講評ではさらに踏み込んで、ガクトとリコがピースを交わすまでの間に、イマイが帽子を脱ぐということまで指摘されている模様。配信の動画ではその場面は映っていないけど、幕が下りる直前に帽子を脱いだイマイの頭部が一瞬映っている。

 こういう考察の余地がたくさんあることも、この作品が好きな理由のひとつ。本当、気になったところ全部に触れようと思うとキリがないし、実際に舞台で観劇したらもっといろいろな影響、感情があったように思う。

以下、余談

  • 委員長の発声すごいな。よく通る声。
  • 「空気読めねぇヤーツー」
  • やっぱりおっぱいは好きだよな。しかしおっぱいだけが好きかというと、違うよな。
  • 郷土芸能部は部内恋愛か。仲が微妙なままでも、爆発の瞬間は大切な人を守るように覆い被さる。
    • 昼休み前の授業中(冒頭にしかない)、熱視線を送っている。
    • 告白が成功した後の爆発で、シュンスケもヒナ(赤ジャージ)を守るように覆い被さっているのを見つけて、うわ……すげぇ、細かいところちゃんとしてる、となった。
  • バレー部を辞めそうな女子を取り合うバスケ部、卓球部、陸上部。
  • 告白される準備をする委員長かわいい。……と、すると、冒頭での「伴奏は……」のところの微笑みは……え?そういうことなの?告白が成功に終わった後、卒倒していたりメガネを外していたりするのもそういうことっぽいな……
  • いかタピオカミルクティー
  • シュンスケは「俺は関係ない」と言うが、君の好きな人はそのイジメの首謀者の一人なのでは。
  • 「私はついにわかりました。それは私の夢だったのかもしれない。でも私は、世界を変えてみたい。私はそれを試してみることができるはずです。何度でも、何度でも。」

関連リンク

*1:2022年は高総文が終わったあと、配信が開始(10月3日)された直後の10月4日朝。

*2:青森市からウラジオストクまで直線距離800kmぐらい、東京までは600kmぐらい。

*3:演劇部員経験者でもなんでもないので、浅い人間の発言である。

*4:なんとなく、仲間はずれの対象、ぐらい。

*5:「でもさ、そんなことどうでもいいんでしょ? 口実だよね、ただの、口実」

*6:グループ名、役名は『青春舞台 2022』のドキュメント部分から

*7:私自身はその一次ソースに辿り着いていないんだけど、生徒講評は配信とか議事録みたいな形で公式サイトに置かれたりしていないのか……。

*8:最優秀賞の愛媛県立松山東高等学校『きょうは塾に行くふりをして』も面白かった。

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