はせる

は・せる、馳せる

荒木町の池で感慨に耽る (1)

 6月5日、お昼休みに荒木町を散策。その1。

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 この日のお目当ては花街であった場所。ではなく、金丸稲荷神社の玉垣と、ダムのようになっていた頃の名残に出くわすことができれば。と思ったことに起因する。

 ダムのようになった由来については、書籍から得た知識しかない。それによると、江戸時代に美濃高須藩主の松平摂津守上屋敷がこの周辺に建てられる際に、庭園に池を作るべく谷を土塁で堰き止める工事を行ったようだ。松平摂津守上屋敷があったことは、弁財天や坂の名前にも窺える。


金丸稲荷神社

 金丸稲荷神社の玉垣には「伊勢丹」の文字が彫られている。Wikipediaを参照すると、

1930年(昭和5年)9月30日 - 株式会社 伊勢丹を設立。新しい出店地を新宿へ決定。

とあるので縁があるのだろう。
 さらに奥には「四谷三業組合」とあるので、これにも花街の名残を感じることができる。この辺りが花街となったのは廃藩置県後なので、松平摂津守上屋敷よりも後の時代となる。


津の守弁財天 策の池

 津の守弁財天の策(むち)の池。江戸時代は滝があり、その滝つぼだった場所らしい。名前は「鷹狩りに来た徳川家康が乗馬用の策を洗った」ことに由来するとある。今は大きな水溜まりのような池が、当時は庭園の一角を成す池だったと思うと楽しい。

 カメの親子が泳いでいるのを微笑ましく眺めていたら、写真中央少し左の池の端をのっそりと動く影に気がついたので写したもの。形からしてスッポンのようなんだけど……


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 窪地の縁に当たる石垣。人工の池がどの程度の深さだったのかはわからないけど、文明開化期の古地図と照らし合わせてみると、この窪地満杯に水を湛えていたわけではなさそうだ(当たり前か)。


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 石垣の石の境目。左は溶岩石?


 この散策の写真はもう一回分続きます。

カラー版 地図と愉しむ東京歴史散歩 地形篇 (中公新書)

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