はせる

は・せる、馳せる

言語化の先送り (2024W51)

 一眼レフを再び持ち歩くようになったので、今週は写真が多めになった。このまま続くといいと思う。

2024W51 (2024-12-16 / 2024-12-22)

 写真が多くなると、それに比例して書くことも多くなる。「写真にキャプションつけなきゃなぁ」という使命感もあるけれども、撮った写真を見ながら文章を入力することで、そのときの状況や感じたことなどが色濃く思い起こされるからでもあると思う。このことから、写真を撮ることが「言語化の先送り」をしているということのような気がしてきて、芋づる式に以前読んだ本のことも思い出した。

「なにも感じていない」のではなく、「感じていることはあるのに、解像度が低すぎて自分でもわかっていない」だけ
荒木俊哉『瞬時に「言語化できる人」が、うまくいく。

 「解像度」という言葉はもともと写真関連の用語で、レンズやフィルムがどの程度細部まで写し撮れるか、写し出せるかという度合いであり、引用で使われている「解像度が低い」というのは「あいまいで、不確か*1」と表現することもできる。
 私が写真を撮るときには、対象を見て「撮ったらいい感じになりそう」とか「撮っておいたほうがいいかも」「撮っていいかな」「撮るか」ということは考えていても、情操的な部分や画角の中で起きていることについて感覚的に捉えていることを、その場で具体的に「あれやこれや」と言葉で捉えようとしていない。そのときに感じていたいろいろなことは、「カメラを構える、構図を吟味する、シャッターを押す」という動作を終えると、どこかに行ってしまっているような気がしていた。

 でも、撮った写真を週報やGoogleフォトで見直すことで、その写真を撮ったときの「あれやこれや」も、そこから連想される「それやどれや」も含めて、いろいろと再び浮かんでくる。どこかに行ってしまったと思っていたそれらは、もしかすると写真の中にあるということなのかもしれない。「写真を見直す」という行為によって、そういう「あいまいで、不確か」だった感覚を、あとから言語化していると考えることができそうだ(写真的に言い直すと「感覚を言語に焼き付けている」ということ)。これまで撮った写真を遡れるだけ遡って眺めるということはずっとしているので、私はそういう言語化が好きなんだろう……好きなんだ……好きです。

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なにか始めるのか (2024W50)

 新年に向かう。

2024W50 (2024-12-09 / 2024-12-15)

 新しいことを始めるなら年の始めがいい、なんてことはない。思い立ったらすぐだよ。そんなことはわかりつつも、なんとなく「1」から始まるのが気持ちいいと思ってしまう。週番号は50まできた。今年は12月23日から始まる52週目で最後、12月30日からは2025年の1週目である。なにか始めるのか、を考える。

 そういえば、ひとりポッドキャストをやってみたい、と考えていた。週報用に書いた文章を、読み上げたり連想脱線したりしながら推敲するという企画。機材はICレコーダーならば持っているし、なんならiPhoneだっていいのだ。完パケスタイルにすれば編集も省ける。どのサービスを使って配信するのかも、たぶん「LISTEN*1」だろうな、と思う。
 ただ、家族で暮らしている日常で、どのタイミングで録音するのか、という問題にはいい解決方法が見つからない。週末のどちらかは数時間ひとりの時間をもらうことがあるけれども、毎週というわけではないしなぁ。でも時間にすれば数分から15分程度だと思うので、夜みんなが寝静まったころにコソコソと録音できなくもないのか……深夜テンションなのは問題になるかもしれないけど。いっその事、夜の散歩に出かけて歩きながら録音するか。うちの周りは人通りが少ないので、決して悪くないアイディアな気がする。

*1:先にリンクした記事でねじまきさんに教えてもらったものである。

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2024-352 ウトウト

 2024年12月17日、火曜日。晴れ。

 朝、中央線快速電車の遅延。人身事故かなと予想していたら、新宿駅での信号機故障とのこと。朝は無事復旧したけど、改めて計画的に12時から1時間の運転見合わせをして再度の復旧作業をしていたようだ。結構大変だったのかしら。

 図書館から借りている『文學界』に、たまたま芥川賞候補作の永方佑樹『字滑り』が掲載されており、読み始めた。候補作のタイトルを一覧して一番気になったものだったので、縁も感じる。

 帰って家事をこなし、妻の話を聞いているタイミングでもうウトウト。ポケモンSVも進めたいのだが。

最終的で絶対的 (2024W49)

 このブログはいつまで続くんだろうね。

2024W49 (2024-12-02 / 2024-12-08)

 一時期はブログの露出を増やしたい、と思っていたし、今もコストの少ない施策は施している(そんな施策よりも、更新頻度を少し上げた方がアクセスは増える)。増えたところでなにが起こるか、とも考える。大抵はなにも起こらないだろうし、起こるとしてもマイナスな事象を想像してしまう。ふと読者登録を見ると300人を超えており、「ありがた!」と思うと同時に、「こわ!」とも思う。すべてが今も稼働しているアカウントとはいえないだろうけど、それでもよくここまで増えたな、と感じる。

 ネット上に個人を特定する要因のいくつか(本名とか年齢、出身地、最寄り駅、ミラーセルフ)を出すことに、元々私は抵抗が少ない方だったんだと思う。2000年代初めのあたり、高校生のころにはインターネットに触れはじめ、プライバシーに敏感になっていろいろ調べていて*1、社会人になるころにはネットリテラシーにまあまあの自信があったので、自分で上手くやれていると思っていた。当時は今に比べたら牧歌的な雰囲気もあったしなぁ。
 遠藤舞*2のポスト*3を読んで、改めて一度ネット上に放出した情報を完全に消すことはほぼ不可能だよなぁと思った。『ガジェット警部』の指令書みたいに、自動的に消滅する機能を持たせられたらいいんだろうけど、PCもスマートフォンもたくさんの人が持つようになって、たまたま閲覧した人がスクリーンショットを取ったり、そうでなくてもインターネットアーカイブに収集されたりして残り続ける。ある時点の判断が、最終的で絶対的なものになっている。時間が経つにつれて、考えは変わることもあるのにねぇ。

 独り身のときは自分の責任で対処できるものがほとんどだったからよかったけど、そうではないものも今ではたくさん抱え込んでいる。そんなわけで昔よりは公開する内容については慎重になっている。これでも。

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2024-351 ツー

 2024年12月16日、月曜日。晴れ。水星が留*1

 朝起きて、『だれかtoなかい』の3代目MCと、M-1審査員の話題を目にする。あんまり見ていない番組なんだけど、岡田くんは結構好きだな、見るかな、と思った。M-1審査員の顔ぶれは確かにワクワクするもので、やっぱり審査員というものに消極的だった若林さんが、どんな漫才にどんな点数をつけてどんなコメントをするのだろう、と気になってしまう。ANNの放送は審査員発表の前なので、すがちゃん最高No.1とDENがゲストでカリスマ対決をしている。来週なんか言うかな。

 文学フリマ東京39、日記祭……と、立て続けに行けなかったので、通販対応してくれている人たちの本をポチッと購入している。今年のうちに読み終わって感想などをまとめるまでやっておきたい本があるので、読み始めるのはもう少しあと。

 高校からの同級生にmixi2へ招待してもらった。新しいSNSはもういいや、と思っていたけど、mixiにはインターネットの世界を広げてもらったので、少しワクワクしている。ただ、現状は招待制であるものの、招待URLをTwitter(新X)で広く公開している人も多く見かけるので、どんな具合になっていくのかな。

 12月に入って、アドベントカレンダーに沿ってブログを更新していたりベストバイの記事などを見かけるようになって、年の瀬を感じる。毎年どっちにも乗っかっていないんだけど、毎年年末に同じ質問に答えていくのはやりたいと思っている。

 帰って家事を済ませ、『乃木坂工事中』『そこ曲がったら、櫻坂?』『日向坂で会いましょう』の3コンボ。オードリーANN東京ドーム後に若林が日向坂に向けて「次はお前たちの番だな!」と言ったか言わなかったか論争に目安箱で解決を図る。結果としては1票差で「次は日向坂の番だな!」が多数を取るも、クレーマー松田により結局うやむやな感じに。オードリーANN東京ドームを発端に、ラジオで論争が始まり、日向坂の東京ドームライブも決定し、冠番組で回収する、という流れもいい。

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