はせる

は・せる、馳せる

2024-205 忘れ物をしない

 2024年7月23日、火曜日。晴れ。

 有休明け、気持ち的には良好。朝イチで予定されている客先とのリモートミーティングに向けて早めに出社。続けて社内ミーティングもこなしてバタバタではあるけど、まだ気持ち的には良好。

 一昨日、京王線を使って出かけたときに、出先で必要だった室内用シューズを入れたシューズケースを電車内に忘れて、京王線の落とし物探索サービス、findchat*1を使って探してもらい、見つかったとのことで会社を早退して受け取りに行く。安価なものなら諦めていたかもしれないけど、中身はフットサルシューズで、授業参観のときに上履きとしても使っていたもの。ケースも合わせて同じものを買い直したとすると1万円弱になるので、今回のように取り戻せたのは運がよく、京王線にも感謝しないといけない。
 明大前駅のお忘れ物取扱所。なぜ明大前駅に?という疑問も浮かぶけど、京王井の頭線の忘れ物もここに集まるということなんだろう。17時台ということもあって、京王線の下りはすごく混んでいる。普段乗らない路線に少しドキドキしながら、やっぱり路線や方面によって利用者・居住者は変わるよなぁ、という感想を抱く。
 忘れ物は網棚の上に置き忘れるというあるあるな状況で、結婚後4回目。これまでに経験があることなのに意識も対策もできていなかったことにショックを受け、忘れ物に気づいたときにはシュンとした。自分の手を離れると忘れやすく、降車直前まで別なこと(スマホや本)に意識があるとさらに確率は上がる。それならば、それに向けた対策をすればよい。今回の場合であれば、リュックサックの中に収まるように準備したり、リュックサックに付属のバンドで括り付けたりなどすれば防げただろう。反省。

*1:LINEアプリを利用したサービス。忘れ物の特徴を記したり品物の写真をアップロードして照会してもらう。便利。 - 「忘れ物 | 電車に乗る | 京王電鉄

2024-202 セミの幼虫

 2024年7月20日、土曜日。晴れ、雨。

 午前から夕方にかけて単独行動。身体を休め、図書館の返却と予約図書を受け取る。芥川賞候補作を読もう、で予約していた群像を受け取る。既になにが掲載されているから借りたのか憶えていなかったけど、目次を見たら『バリ山行』だった。こちらも芥川賞を受賞している。候補作一覧を見て借りたのはこの2作だけで、私はもしかしたら予想屋になれるかもしれない、と少しうぬぼれる。もう熱は冷めており、読むかはわからない。一緒に借りたのは山内マリコさんの『マリリン・トールド・ミー』。移動中に冒頭を読んだら新型コロナ緊急事態宣言下に上京・大学入学した女性が主人公で、閉塞感がすごく伝わってくる。

 夕方、夢の島熱帯植物館で妻と息子と合流。17時から夜間開館の準備で温室は一旦閉館、その間にフラダンスを見る。スタンプラリーの台帳をもらって、夜間開館の温室へ。この時点ではまだ明るいけど、ぐるっと回って外へ出て、ようやく辺りは暗くなっている。外では、セミの幼虫が這い出てきているので様子を観察できる。私が子どもの頃はかなり珍しいものと認識していたけど、去年は羽化中を1匹とよじ登っているのを1匹、今年は地面を這っているのとよじ登っているのを10匹ぐらい見つけて、こうなるとあまり珍しくもなくなってしまう。インフレ。

 帰り着くころには雷を伴う大雨。

2024-200 読む

 2024年7月18日、木曜日。曇り。2024年の200日目。

 伊藤亜和さんの『存在の耐えられない愛おしさ』を読了。

booklog.jp

 それに換えて、芥川賞候補作が発表されてすぐ予約入れて、1人の予約待ちを経て借りていた『新潮 2024年5月号』をリュックサックに入れる。ぼやぼやしているうちに『芥川賞受賞作』になってしまったので、もしかするとまた予約待ち行列が伸びているかもしれない。返却期限は今週末、次の予約者がいるので延長は不可。『サンショウウオの四十九日』はまた改めて単行本で読むことにして、その他に掲載されている対談・鼎談を先に読むか。

日常は続く (2024W27)

 都知事選挙が終わり。

2024W27 (2024-07-01 / 2024-07-07)

 東京都知事選挙の結果は確定され、日常はそれに続く。「小池さんだよねー」という気持ちと「小池さんかぁ……」という気持ち、その両方がある。まとめ記事かはてブのどっちかで見た「小池知事ではなく都庁が信任された」というコメントが一番腑に落ちた。選挙前には公職選挙法が規制していない部分を突く行為に困惑したけど、終わってみると今度はまた別なことに困惑した。

 ぼんやりと考えていたけど、「社会(政治や経済など「社会」という意味のすべて)はその時々に合わせて変化しつづけるべきだけど、それは緩やかな変化であってほしい」というのが私自身の思想っぽいなと言葉になった。これは「基本的に穏やかに過ごしたい」という考えがあるからだけど、選択的夫婦別姓同性婚やLGBTQと背反するものではないとも考えている。むしろ、それらについては本来であれば変化しなきゃならない時期をとっくに過ぎてしまったと思っていて、地方行政レベルでできること、国政レベルですることの話もあったけど、それを堰き止めているのは誰なんだろう。そう思うと、変化をもたらしてくれる人に票を入れたくもなるんだけど、その人自身を見たり、その人の政党を見たり、その人の支持者を見たり、してゲンナリしてしまう。

 うまく言葉になっていない、まとまっていないけど、この辺で手放す。

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民主主義を信じる (2024W26)

 都知事選挙ですね。

2024W26 (2024-06-24 / 2024-06-30)

 立候補の段階から予想はあったけど、告示日を過ぎて選挙ポスターが貼られ始めると予想を超えてカオスな都知事選のスタートになった。いろいろな人が立候補することはいいことだと思うけど、せめて「東京をよくしたい」という意志があり、そう感じられる行動や言動をする人であってほしい。ただ、「どの候補者が一番自分にとってマシなのか」で投票先を選んでいくことを考えると、「この候補者、選んだらダメだ――」と見てすぐに判断できることは、むしろいいことと言えなくもない。

miyearnzzlabo.com

 でも「主な」として挙がる候補者たちは、そんなに簡単に判断することができないんだよね。マニフェストをよく読んで比べてみたり、メディアの公開質問状への回答を比べてみたり、その回答の真摯さだったり、ボートマッチを試してみたり、そうやって候補者をふるいに掛ける。これだけでもなかなかの時間が必要になるけど、街頭演説も聞きに行くとなるとさらに労力が必要になる。
 そして、こういうとき、候補者を支持する人の声をどこまで参考にしていいかわからなくなるときがあって。たとえば「他の候補者と比較して、この人はこんなに問題に対処してくれます(対処する意志があります)」という、支持しているその候補者だけ全部の項目にマルが付いている表を出されて、それを見て「じゃあその人一択じゃん」……とはならない。その支持者の立場からすごく魅力的に見えている、それだけのことなのかもしれないけれども、「その候補者だけ全部マル」っていうところに違和感を感じて「これって……プロパガンダなのでは?」などと訝しがってしまうのは、私の心が穢れているからなのか……

 私には、「主な」候補者たちについて、どの候補者の主張にもそれぞれに頷ける部分があり、どの候補者が当選してもそれぞれに不安に思う部分がある。私にとっての「マシ」を考える、そんな期間……。
 TBSラジオ『Session』7月3日放送の『東京都知事選挙「私の論点」』のパートで、千葉商科大学准教授の常見陽平さんが話していた「私は都民と民主主義を信じることにする」という言葉が、ずっと頭に残っている。民主主義は時に間違ってしまうこともある。でも、民主主義にはその間違いを正す力もある。選挙は国民に与えられた「正す力」を発揮する機会のひとつだと考える*1

note.com

*1:修正。元は「正す力は投票することでしか発揮されない」。

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