はせる

は・せる、馳せる

創作と他者の間に(2022W23)

 コミュニケーション。

2022W23 (2022-06-06 / 2022-06-12)

 『毎日かあさん』は図書館で借りて読んでいて、子育ての中で感じる楽しさ、愛しさ、驚き、怒り、そして呆れが上手く描かれていて好きなんだけど、西原家の息子の年齢がうちの息子の年齢を追い越して先に行ってしまったので、4巻までで一旦止めていた。
 というところでの、娘さんのブログである。実際の親子関係がどうであったかはわからないのだから、どれをどこまで信じるかというのはあるけど、やっぱりあの調子で思春期の様子まで描かれたら*1、少なくとも嫌な思いをすることはあるかもしれないな、と思う*2。ブログとかネットの記事を読むと、漫画の内容というよりも純粋に母親と娘の関係性に問題があったような印象も出てくるんだけど。

 自分事の方に持ってくると、創作物と他者との関係はずいぶんと前から考えている。自分の写真の傾向としてストリートフォトが多いので、写真を撮るときに肖像権のことを考え始めたのが始まり*3だったと思う。近い時期、写真友達にパートナーとのとてもプライベートな時間の写真を撮ってFlickrに公開する人がいて、正直うらやましいなとも思ったけど、ちょっと引いた目線で自分だったらそれができるか、とも考えた(出した結論は「きっと無理!」だった)。

 2018年頃、資生堂花椿で連載されていたはるな檸檬著『ダルちゃん』でのダルちゃんとヒロセさん、文月悠光著『臆病な詩人、街へ出る。』というエッセイ集に収録されるチョーヒカルさんとのやりとりなど、同時期に「他者との関係」からインスピレーションを得て創作することについて触れた内容に出会った。(しかも、どちらも創作物は詩なのだった)

 私の場合は写真だけど、どうも『創作優先になっても仕方ない』とは思えなくて、撮ることができずにいたり、よしんば*4撮ったとしてもどこにも公開することができないままでいたりする。『創作優先』っていうのはつまり「自分が撮りたい写真」のみを突き詰めているということで、被写体に断りも入れず、本人がどう写りたいか、どう写りたくないかということを蔑ろにしてしまうこと、だと考えた。
 だからといって、この趣味を諦めるようなことも考えられない。コミュニケーションによって相手とのちょうどいい距離感を模索したり、相手側への影響がないところで楽しむ。

 このブログも「日記」という形態である以上、妻や息子のことに触れないということはまず無理なんだけど、家族だけど妻や息子も他者のうちなので、まず相手に伝えていない感情は書かないようにしている。写真でははっきりと顔が写っているものは使用しないようにしていたり、文章ではアイデンティティに関わる内容はぼかすか触れないなど、プライバシーへの配慮もしているつもりではいる。結婚前は結構オープンに書くこともあったけど、今は書かない選択をしている部分がまあまあある。

 創作と他者のバランスを保つには、コミュニケーションを取るしかない。それが面倒なときは、他者のいない方に行くしかない。

*1:娘高校2年生で卒母宣言、連載終了とのこと。ソースはWikipedia

*2:あと、Wikipediaには『周囲の母親たちからもたらされた複数の子どもの話を元にしたフィクションであったことを明かしている』ともある

*3:「訴えられたら怖いな……」ぐらいからのスタート

*4:好きな副詞。「かりに」「たとえ」

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偶然の構図(2022W22)

 久しぶりに小説を読み始めた。

2022W22 (2022-05-30 / 2022-06-05)

 課題図書として『日常生活に埋め込まれたマイクロアグレッション』をずっと読んでいたので、絵本や写真集のような短いもの・文章の多くないものなら平行して読めていたけど、そこに長編の物語を追加する余裕はなかった。漸く読み終わったので、積ん読の中から小説をチョイスして携行し始めたところ、物語の面白さももちろんあるんだろうけど、学術系の文章に比べて読みやすい(というか、スッと読み込める)ことも改めて感じている。

 宮内悠介著『偶然の聖地』は、アトロクで岸本佐知子さんが推薦図書に挙げていた本。『時空がかかる病』に纏わるお話で、プログラミング用語やITリテラシーがあるとより楽しい感じだし、あとは旅行記にも興味があると尚よい。当然、なくたって面白いと思う。
 「世界医」という設定に、村上春樹著『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』の「計算士」を強烈に思い出している。新しい本だけでなく、再読するタイミングも設けたいな。

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阿佐ヶ谷住宅の31と30

 「記憶の書架」に手をかける。古い写真を取り上げ、埃を払い、記憶を辿る過程で、現在に照らし合わせながら整理整頓する試み。
 今回は13年前、2009年6月7日(日)の写真。場所は杉並区成田東にあった阿佐ヶ谷住宅

31&30

 カメラはCanon EOS Kiss Digital N、レンズはEF 28mm f/1.8 USM、とメモしてある。

写真のこと

 Canon EOS Kiss Digital N(以降、キスデジN)の時代。私のカメラ遍歴は、コンデジを除くとキスデジNから始まる。2006年末に標準ズームレンズキットで購入して、1年経たないうちに今も使用しているEF 50mm F1.4 USM、次にEF 28mm F1.8 USMの順で揃えていった。
 この写真を見て、今ならもうちょっと違う構図を考えて撮るかな、と思ったりする(笑。当時は真四角の写真ばっかり撮っていたので仕方ない。という言い訳。

 これはほぼ余談だと思うんだけど、この写真、EXIF情報を見るとF値を3.2で撮っている*1。メカニカルな機構を持つレンズだと、F値の最大解放が2.8とすれば、1段ずつ絞っていくと3.5、5.6、8、11、16、22と変化していく。その段階に慣れてしまうとデジタル一眼レフでもこの設定値を使うようになるので、その上でこの値を見ると「3.2ってどうよ?」と思ってしまう。ずっと自覚していたけど、この感覚を文章にするのはたぶん初めてのこと。個人の感想です。

記憶を辿る、考察と補填

 阿佐ヶ谷住宅Wikipedia)とは日本住宅公団が整備した中層集合住宅とテラスハウスからなる団地、だった。『日本の不思議な建物101』という本を読んだことが切っ掛けで、なんかいろいろと思い出した。

 阿佐ヶ谷に住んでいて、且つ写真を趣味としている。だからといってすぐに阿佐ヶ谷住宅に行くかというと、まあ実際そうでもなく、写真を趣味と認識してから暫く経ってのことだった。写真友達など当時仲良くしていた人と一緒に散歩したり、ちょっとしたピクニックみたいなことをしたり*2、自転車を購入してからはこの写真の広場で休憩することもあった。写真を撮る人たちにはちょっと名の知れた場所ではあったけど、純粋に落ち着く場所であり、不思議な吸引力を感じる場所だった。

Untitled

 南阿佐ヶ谷駅方面から向かうと、古めかしい外観の給水塔が迎えてくれていた。この給水塔も阿佐ヶ谷住宅もすでになくなっていて、今はすべて取り壊されて再開発され、中低層マンションとテラスハウス群になっているようだ。

booklog.jp

*1:同じ日の写真を見ると、微妙な値はこの写真だけなので、ダイアルに間違って触れてしまった可能性が高い。

*2:友達に阿佐ヶ谷住宅の住人は一人もいないので、いけないことである。

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走ることについて教えるときに(2022W21)

 運動が楽しければ、まずはそれでいい。

2022W21 (2022-05-23 / 2022-05-29)

 週末の運動会では一緒に走っている子を気にしてよそ見をし、案の定4人中4位という結果だった。そもそも息子はそんなに足が速くない。走り方にまだ改善の余地有りと見ているので、以前もやってはいるんだけど、もう一度レクチャーの時間を設けねばならないと思った。
 私は中学時代に一応陸上部(短距離、走り高跳び)だった。入賞するほど速くはなかったけど、それでも息子の走り方を見ていて改善すべきポイントはなんとなくわかる(むしろそういう段階の走り方をしているってこと)。

 一緒に公園に行くときは「野球やりたい!」が切っ掛けになるんだけど、バットを振ったりボールを投げたり、野球でも練習というよりは1対1のゲームをやりたがる。そんな状態で走り方を、ふとももを意識的に上げて、手の振り方はこんな感じで、とあれこれ教えてもなかなか上手く吸収してくれない。楽しいことに織り交ぜたり、もっと簡単なことからじゃないと始まりすらしなそうだ。

 さて、自分の部活経験を振り返ってみると、まあ、私も練習は好きじゃなかったんだよね。それでも、息子も私も運動が嫌いなわけではないので、私が教え方や練習方法を勉強しつつ、徐々に吸収していってくれたら嬉しい。

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夢と幻想の森

 「記憶の書架」に手をかける。古い写真を取り上げ、埃を払い、記憶を辿る過程で、現在に照らし合わせながら整理整頓する試み。
 今回は9年前、2013年5月26日(日)の写真。場所は北区西ケ原にある旧古河庭園"forest of dreams"シリーズのひとつ。

forest of dreams (36)

 カメラはHASSELBLAD 500C、レンズはPlanar C80mm F2.8、フィルムはFUJICOLOR PRO 400、とメモしてある。

写真のこと

 撮った写真をザッと振り返ってみると、花や木、木漏れ日など自然を写した写真がそこそこあり、中でも構図上「鬱蒼とした森」のような(そう見える)写真を多く撮っていることに気がついた。葉擦れの音を聞いたり、それに伴って踊る木漏れ日に包まれることが好きだったからだと思う。
 それと、写真を趣味として認識していく中で、村上春樹の小説、『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』や『海辺のカフカ』などを読んで、物語に登場する森(と、それが孕む孤独)に魅了されたことも、大きな影響になったのは間違いない。

 Flickrでそれらをアルバムにまとめてみると、なんだか安らぎを感じて、そこからなんとなく始まったシリーズだったと思う。
 あと、FUJICOLOR PRO 400は特性として緑色が鮮やかえに出るフィルムだったので、そのことも強みとして働いたんだなあ、と改めて考えた。

 日差しに透ける葉っぱなどは今でも撮ったりしているので、このシリーズも折を見て再開するのもいいと思った。

記憶を辿る、考察と補填

 場所は旧古河庭園Wikipedia)の馬車道。このとき確か隣には妻がいて、入籍から2ヶ月ぐらいの頃。たぶんこのときもバラフェスティバルの開催中で、バラアイスを食べたり、バラ柄の手鏡を買ったり(今も使ってくれている)、よく行っていたことを思い出す。なんとなく行かなくなってしまい、もう4年ぐらい経ってしまった。

 旧古河庭園都立庭園のひとつ。今、春のバラフェスティバルが3年振りに開催されている真っ最中であり、バラの名所なんだけど、ここではあえて庭園の魅力も知っていただきたい。旧古河邸と同じ上段には西洋庭園が広がり、中段はバラ園、下段には日本庭園と心字池がある。庭園に高低差が付けられていて、上段からバラ園と日本庭園を見下ろしたり、下段からジョサイア・コンドルが設計した西洋館を見上げるなど、それぞれお気に入りのビューポイントがきっと見つかるはず(バラフェスの時期には、ライトアップされることもある)。

www.tokyo-park.or.jp

 あと、元々の土地所有者であり、この地で亡くなった陸奥宗光Wikipedia)は、台東区根岸に居宅が現存し、今も一般住宅として使用されている。これもなにかの縁。

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