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はせる

は・せる、馳せる

写欲。ていうかこれ、ただのセンチメンタルでしょ

cat:撮ること

 ご機嫌いかがでしょうか。久しぶりに文章を書きたい衝動に襲われたので長文となりました。例によって自分語りであり、あとで自分で読み返してエクスタシーを得たいだけの内容ですが、公開する以上は何度も推敲しておりますので読んでいただければ幸いです。

写欲の枯渇

 「写欲」とは、ここではざっくりと「写したい欲、写真を撮りたい欲」、とします。

 8年9年と写真を続けていると、なんだかもうわざわざ撮りたいものなんてないな、というような言葉を思い浮かべながら、それでもカメラを持ち歩く時期がやってくるものです。その言葉が実際は全くの嘘であることは承知しておりますが、停滞感のような、麻痺のような、つまりは「写欲の枯渇」というような感覚に囚われることが時折あるということは紛れもなく本当のことであります。そしてこれは、私にとって二度目のことでした。

 とはいえ、「枯渇」などと言いつつも、前回もそうですが、写真を撮ることが完全にゼロになった、ということではありません。私を誘い突き動かすものによって、シャッターを切り続けています。デジタルにせよフィルムにせよ。です。
 さて、では今どういうタイミングで私がシャッターを切っているのか、掘り下げてみようと思います。

テーマを決めて撮るって大事

 そんな当たり前のこと。と思われる方も大勢いらっしゃると思いますが、私はこれまで主としてスナップ写真を撮ってきた人間なので、具体的にテーマを決めてその写真を撮り続ける、ということがまだまだ新鮮に感じられるのです。(スナップ写真だってテーマだろといわれればテーマだし、そもそもフィルムをロクロクで撮り続けているのだってテーマと言ったっていいわけですが、ここでは撮り方やフォーマットでなく被写体についてのテーマということ)
 例えば、最近撮り続けている街区表示板シリーズだとか、その他にもいくつか撮り溜めている、というかコンセプトや構図を練っている段階のものがあります。テーマがあれば街を歩きながらそのテーマに合うものを興味を持って探すようになり、それと出会ったときに写真を撮る、というように自然に行動に結びつくようなりました。(最近は億劫)

#街区表示板 台東区根岸三丁目 夕日の当たり方がきれいだった。

昔撮った場所を、今の感覚で

 これも先述のテーマといえばテーマなのですが、私は撮った写真を振り返るという行為をよく行っておりますので、昔の写真を見てはあそこ今どうなってるんだろう?とその場所をもう一度訪れ、その頃に思いを馳せながら今の視点と技術・機材で撮るということを、気が向いたときに行っております。
 でもまあ、これは撮った写真を振り返ることができるからこそです。写真撮ってinstagramにアップしてたんまりとタグ付けていいね!が何百件コメントクローズです、みたいな人には関係ない話かもしれません。……いやあの、instagramやそれを使っている人にはなんの恨みもありませんし、私自身も使っておりますが、何月何日に撮った写真は……なんて振り返るには連携アプリなしでは難しいですよね。そこを言いたいのですよ。

 昔、なんて言葉が出てくる時点で感傷みたいなもんですが、写真を撮ることはイコール心の動きといっても過言ではないと信じていますから、つまり、昔日の写真に思いを馳せるとき、その写真が私を撮影に導くことがままあるというわけです。そしてその(当時と劇的に変わることはあまりない)風景を眺め、撮影のモーションに入りながら、当時とはどこか変わった自分を認識していくのです。

Enchanted Voyage

結局

 今、私を「誘い突き動かすもの」は「興味」や「感傷」であり、「興味」の対象がブレていたり「感傷」に浸る余裕がなくなったり、そういうタイミングで「写欲が麻痺」するようです。東京から新宿まで中央線で15分ぐらいなのに、なんであんた、山手線外回りで30分掛けて行くわけ?というような内容でしたので、先に結論をタイトルに書いたわけです。でも、遠回りの景色も悪くないでしょう。

 麻痺が求めるのは新しい(そして以前よりも強い)刺激です。被写体(テーマ)に出会う、人と会う、機材・グッズを増やす、というようなことが必要なタイミングなのかもしれません。(幸い11月末に子どもが産まれる予定なので、もうすぐ被写体を授かる)