はせる

は・せる、馳せる

仙台で過ごした日々

 専門学校に通うため附属の寮に入って、宮城県仙台市に3年間住んだ。

 仙台には高校時代から仲の良い友人が大学に進学していたが、連絡を取るだけで頻繁には会わなかった。高校時代と比べても女の子との会話の機会は減り、服には頓着せずあるものを着回し、休日はゲーセンに行くか寮の部屋にこもっていて、誰かと休日に予定を合わせて遊ぶということはほとんどせずにいた。そんなわけで仙台の印象というのはほとんどなく、あるのは自転車で駆け抜けた通学路沿いの景色や途中にある女子校と、良く行った本屋、ゲーセン、アニメイトの類いだけだ。

 あるとき、ふとエレキギターかDTMを始めようと思い立ち楽器屋に入り浸っていたことがあった。そのうちに店員とも仲良くなりくだらない話しもするようになって、勧められるがままMIDI検定も取得した。その後、DTMを始めたが形になることはなく今に至っている。
 仙台で過ごす時間が長くなるにつれ学校にも寮にも仲の良い友達は増えて、放課後にゲーセンで連んだりするようになった。3年目の秋に芋煮会に誘われ行ってみると、同じクラスの女子も2人来ていた。この3年間、女の子と会話するということが寮関係の人以外ではほとんど無かったのでひどく緊張していたことが記憶に残っている。このころ、女の子と会話する話題など持ち合わせていなかった。
 振り返ってみれば、おそらくこれまでの人生で一番暗い時代だったと思う。「悪い」時代ではない、「暗い」時代だ。このときもっと社交的になっていれば、今の状況もまた違ったものになっていただろうと考えると面白い。

 専門学校の説明会にわざわざ来ていた東京の会社に就職し仙台を離れるが、その後8年に渡って住むことになる阿佐ヶ谷はケヤキ並木、七夕祭り、ジャズと、仙台との共通点が多い街であった。
 これもなにかの縁なのだろう。

稲穂

 2004年、仙台の仙石線沿いの小鶴新田と福田町の間(38°16'28.1"N 140°56'52.3"E - Google マップ)。一面の稲穂を見ると、PS2の攻殻機動隊SACを思い出す。

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