はせる

は・せる、馳せる

僕は作文が得意ではない

 僕は作文が得意ではない。

 小学生の頃書いた読書感想文は読んだ本のあらすじを辿りながら自分の感想を挿入していく稚拙なものだった。中学1年の頃担任に言われて出た弁論大会のために書いた文章も、思い返してみればたいした手応えはなかった。高校生の頃文芸部として書いた文章も、専門学生の頃ブログに書いていた文章も、読み返してみると恥ずかしくなってしまうほどだった。
 文章を書いてそれを数年以上経って読み返すという行為は、ことごとく現在の心に難しい感情を湧き起こさせる。

 それでも書かなければならない。文章は下手でも手応えがなくてもどうだっていい。書き殴り、書き損じ、書き直し、書き綴る。完璧な文章など存在しないのだから、最初からそこまでを望むことはしなくてもいいだろう。
 30年。この30年の間にいろいろな人やものが音を立てて僕の中を通り過ぎていった。あるものは僕のことが嫌になり、あるものは引き留めても聞かなく、あるものは通り過ぎるときにぶつかって壊してしまったかもしれない。そして、いくつかのものは心地のよい距離を置いて僕のそばに留まってくれたようだった。

 これから書き綴って行く文章は、そういったものたちが僕の中に残したものを拾い上げ、古いものは丁寧に埃を払い、それがなんであったかを思い返す行為である。30歳から31歳になる年に、僕の中にあるものを言葉にすることで整理しようと思う。
 村上春樹の小説から一部引用する。

 1973年9月、この小説はそこから始まる。それが入り口だ。出口があればいいと思う。もしなければ、文章を書く意味なんて何もない。

via 村上春樹 - 1973年のピンボール (講談社文庫)

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